モアナと伝説の海 感想・隠されたメッセージの考察(ネタバレ注意)

 

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私は近年のディズニー映画作品に隠された

メッセージ性やメタファーを読み解くのがとても大好きです。

「モアナと伝説の海」でも同じようにメッセージが隠されていました。

  

この作品は"ただ勇敢な女の子が冒険する映画"では終わりません。

映像美や楽しいキャラクターの魅力はもちろん、

深い考察を知ることで大人も楽しめる映画だということが分かります。

  

ネタバレを多く含みますので以下、追記で隠して書きたいと思います。

また、私もまだ自信がない考察だらけなので違う意見の方もいると思います。

ぜひ情報交換をしながらああでもない、こうでもないと考察を楽しみたいと思います。

内容が分かってしまっても大丈夫な方、どうぞお進みください。

(若干アナ雪のネタバレもあるので注意)

 

 

 

  

↓ 以下ネタバレ注意↓

 

 

外に目を向けよ

これはストレートに伝わりやすいテーマとして描かれていたと思います。

このテーマの映画とコラボしたハワイアン航空は文句なしのマーケティングです。

海の外に出ようとするモアナと、それを止める父。

「この島にいることが安全なのだ、サンゴよりも外に出ていってはいけない。」

村も素晴らしい場所ですが、外に目を向けてやっとその素晴らしさが分かることもあるのに少しもったいない考え方ですね。

 

山の石版を積み上げる行為

山の上には歴代の村の曹長が積み上げた石板。

ここで対になっているのが

 ◆山 ←→ 海

 ◆上に高く積み上げること ←→ 横に(外に)漕ぎ出し進むこと

  

これこそが「国のプライド」のメタファーといってもいいでしょう。

石が高くなればなるほど、歴史と人の愛国心は高く積みあがります。 

村の人たちは外の世界を知らないまま、ココナッツが最高の食べ物だと思い込んでいる。

ココナッツも万能な食材なのです。

でもいつかココナッツが採れなくなる時が出てくる。

その時に人々はどう対応していくでしょうか。

歴史や慣習に囚われていてはいつまでも文明は発展しません。

モアナは最後にこの石の山でパーフェクトな答えを出すのですが

そこにジーンと来てしまいました…。

歴史を否定・卑下することはせず、

かといって村(国)のプライドばかりが大きくなるのも止めました。

そのやり方がモアナらしく、愛に溢れていたことにしばし感動…。

 

モアナの父の苦悩

ただ、ここで上手に描かれていたのはモアナの父の若い頃の苦悩です。

彼は最初から外に出ることを悪としていた訳ではありません。

かつては自分もモアナと同じように

村の掟を破って外の世界に漕ぎ出していたのです。

そこで悲しい事故を経験して

"モアナを同じ目に遭わせない為に、また自分があの悲しい思いをしない為に"

村の誰よりも厳しく外に出ることを禁じました。

一連のエピソードはアメリカ大統領選の揶揄という意見もありますが

まさに"理由なき反抗"ではなく

"理由ありきでの政策とそれに乗っかる人々"だからこそ

問題化しているのです。恐れがシャットアウトに繋がってしまっている。

 

 

海は怖いもの?

モアナも父と全く同じように船を漕ぎ出します。

そして、父と全く同じように溺れます。

海への怖れを抱いて「もう外にはいかない」と心が折れます。

…なんだか現代社会と似ていますね。

そうです。恐ろしい波は"社会"のメタファーです。

初めて学校に通った時、初めて就職活動をした時、

そんな時に思わぬ経験をして心が折れてしまうことはありませんか?

「渋谷は危ない街だから行ってはいけないよ」

そう教えられた女の子が親の目を搔い潜って渋谷に繰り出して

怪しいキャッチに捕まったり、ゲーセンでかつあげをされたようなイメージです。

センター街だけ経験してヒカリエや代々木公園を経験しないまま

渋谷を怖い場所だと決めつけてしまいました。

  

ただの渋谷のお出かけで済めばいい方です。

入った会社がブラック会社で働くのが怖くなってしまった、

学校でいじめられたからもう通うのが嫌になってしまった。

そんな経験をした人だっているはずです。

その社会を恐れる心は長年続くこともあるし、自分の未熟さに矛先を向けて自信喪失してしまうことすらあります。

まさしくモアナとモアナの父はその状況、海を越える方法を知りません。

 

 

マウイという人間

今回この映画で自分が一番印象に残ったキャラクターが彼でした。

ラプンツェルアナエルサと同じ悩みを抱えているヒロイン(?)です。

  

カニのシーンと船のシーン

すみません、まだ全キャラの名前を把握していません…。

ただ、途中でカニが出てくるのです。金ぴかに輝いている。

彼との会話でマウイという人間の本性が露わになってしまいます。

自信たっぷりで、不可能なことはない、

人々から英雄だと崇められていた彼が実は英雄でもなんでもない人間だった。

その時のマウイの表情は出会ったころの表情とは

まるで違っておびえた顔をしています。

モアナからタトゥーの話を執拗に聞かれる時もおなじく、です。

その時の表情の移り変わりは、

ゴーテルの歌でおびえた顔と笑顔を繰り返すラプンツェルさながら。

 

毒親が失った自己肯定感の先に

マウイは親に捨てられた過去を持っています。

そこから神が与えてくれた釣り針のおかげで何でも出来るようになりました。

  

親に捨てられた、の下りは現代の世界でも

そのまま"育ちに難がある"と置き換えられると思います。

「俺は生まれた時に普通の人間だったんから捨てられた」ということは

親が普通の人間でない可能性があります。

家族全員高学歴なのに受験失敗した子供のような居心地の悪さでしょう。

 

ここではマウイが持っている釣り針が

”家柄”、"良い会社"、"美醜"などに置き換えられるかもしれません。

いわばその人のバックグラウンドだとか、ブランド力と呼ばれるものでしょうか。

「これがあるお陰で人は自分のことを評価してくれている」

「これがないと自分には価値がない」

そういった付加価値の象徴だと考えられるでしょう。

  

マウイは人の賞賛を求めて行動をしています。

親から与えられなかった承認欲求を人々の賞賛で埋めようとしました。

そして実際に褒められること、人々の為になることをして英雄と呼ばれます。

しかしマウイは英雄と呼ばれてもどこか虚無感がありました。

自己肯定感が低かったのです。

ありのままの自分(釣り針を持っていない自分)に価値があると思えなかった。

海賊カカモラが出てきたときには、あれだけの力を持ちながら諦める始末。

小さなココナッツ相手にすら怖がっていたのです。

  

自己肯定感を他者で埋めようとしたマウイ

この考察に関しては正直自信がありません。

なので他の人の考察も見てみたいと思っているのですが…

マウイは一つ大きな罪を犯しました。

女神テフィティの心を盗んでしまったのです。

  

それもマウイが自己肯定感を得る為の手段でした。

こういった話はよく西麻布やコリドー街近辺で聞くのですが…

チャラ男が女の子と遊ぶだけ遊んで、捨てるという話によく似ている。

これも元を正すとチャラ男は自分の育ちに問題を抱えていたりして

その心の虚無を埋めるのに女の子と遊ぶのです。

  

私の大好きなアルテイシアさんぱぷりこさんの記事を読むと

こういった話はわんさか出てきます。

モラハラ男にDV男…。みんななりたくてなったのではありません。

学生時代はおとなしかった。しかし何らかのきっかけで自己肯定感を失います。

社会人になってからその虚無を埋めようとして攻撃性をはらんでしまう。

彼らは学歴もあるし、イケメンだったり、スペックが高いように見える。

でも実際は心に問題を抱えていてずっと満たされないまま生きている。

  

マウイはめちゃくちゃいいやつです。映画の中でもチャラくありません。

なのでマウイ批判ではないのですが、このあたりとカブる気がします。

 

女神テフィティ

さて、遊ばれた側、実際に映画では遊ばれてはいないのですが

心(という名の石)を盗まれたテフィティは大変です。

大荒れに荒れています。

  

最初マウイとモアナはテフィティの近くに

炎の女神テカという恐ろしい敵がいると思い込んでいた。

しかし実際のテカは心を取られたテフィティそのものだったのです。

心を奪われて荒れている女の子の象徴というには

少し直接的すぎるかな、と考察に自信がないのですが、

心を病むといきなり別人のように変わってしまう人は多いので

元ある姿に戻してあげることは大事です(変な締め)

ただ、彼女も「アナと雪の女王」のエルサと同じように

自分が病んでしまうことで周りを災害に巻き込んでしまうという特性を持っています。

「海」の水分に弱かったり、その辺の意味も含めて再考察したいキャラです。

  

マウイのタトゥーの意味

アナと雪の女王」でオラフの存在は

エルサのインナーチャイルドであるとされてきました。

本心を隠し続けてきたエルサ、

王様と女王が出発する時も素直に抱き着けなかったエルサに対して

オラフは「ぎゅーっと抱きしめて!」と初対面で伝えることが出来るのです。

  

マウイのタトゥーには小さいマウイが住み着いて縦横無尽に動き回ります。

彼はちょくちょくこの"ミニマウイ"に話しかけています。

この行為は矢沢栄吉でいうところの

「矢沢は良いけどYAZAWAはなんて言うかな」や

本田圭佑選手の「心の中のリトル本田に効きました」と同義です。

マウイも彼の心のコンパスに従っているのです。

すなわちタトゥーは彼の「潜在意識」であると言えるでしょう。

潜在意識というとスピリチュアル方面の話になりそうですが、

単純に自分の中にある「意識していない部分の意識」ととらえて下さい。

  

マウイは自己肯定感が低い為に心(ミニマウイ)と体(マウイ)が別のことをしています。

タトゥーはモアナを助けたいのに、自分の手はモアナを船の外に投げ飛ばしています。

その後、終盤でマウイは自分の本心に従うことで(モアナを助けにいった)

やっとタトゥーと自分の体は同じポーズを取ります。

  

全体のタトゥーももちろん潜在意識で、

彼は自分の今までの経験がタトゥーになっています。

進んで彫ったものではなく、勝手に出てきてしまうのだと言っているのでコントロール不可能です。

彼は自分の勲章とも思える経験を体に刻み込んでいますが、

自分の目に見えない位置(背中)に親に捨てられた経験を隠し持っています。

本人は隠しているつもりですが全く隠せていないし、

いつも心に残っているしこりになっています。

そのしこりを認めることで釣り針を扱えるようになりました。

  

ムーランとはまた違ったアプローチでのジェンダー

勇敢な女の子主人公で冒険モノときたら

絶対にジェンダーはテーマに入ってくると思っていたら

この角度から来たか…と感服しています。

  

見た目は立派なプリンセス

ジェンダーでよく間違えられるのは

「女はピンクと決めつけるな、かっこよくあれ」という偏りです。

本来のジェンダーとは「女性が好きなように生きる権利」であって

ショートカット推奨教ではありません。

ピンクが好きなふりふりレースに囲まれた女性がいてもいいし、

もちろんブルーやブラックが好きなパンツスタイルの女性がいてもいい。

  

ディズニー映画「ムーラン」もジェンダーを取り上げた作品です。

主人公ムーランが最終的に武力でなく頭脳を武器に成功をおさめるのですが

見た目は軍隊に入る為にショートカット、

そして男性と同じように見えるようにふるまいました。

それをしないとストーリーが成り立たないからなのですが、

さらにジェンダー観の本質を訴える部分として

今回のモアナの作品が出来たように思えます。

  

モアナは見た目も完全にロングヘアにスカートです。

マウイからは「プリンセス」と揶揄されますが

別に女らしさを否定することもありません。

女のままで自分に出来ることをしようとします。

マッドマックスのフュリオサもめちゃくちゃかっこいいですが

モアナも同じようにかっこいいヒロインなのです。

  

王子モアナのキスシーン

ハワイには"ホニ"という挨拶があります。

2人が鼻とおでこをつけて息を吸うものだそうです(実際にみたことはありません…。)

この挨拶はキスと同義だそう。

  

モアナは最後にテカとホニをすることで、

彼女の本来の姿に目覚めさせます。

そう、今までのプリンセスストーリーで

王子様がキスをしてプリンセスを目覚めさせたことと同じことをしているのです。

モアナは王子様としての役割を果たしたのです。

女性同士のホニだからといって同性愛の象徴としてではないでしょう。

"主体的に動き、人を救える力を持った人間"として描かれる女性として考えるのが自然だと思います。

  

ホニはもう1度出てくるシーンがあって、

タラおばあちゃんとモアナも同じように何度かおでこをくっつけます。

ホニはハワイでは"相手の存在を認め合う"という行為のようなので

自信をなくしたモアナを励ますため、テフィティの心を取り戻すため、

効果的に使われています。

ホニについてはこちらのページに詳しく書かれています。

ハワイ語の第一歩、「アロ~ハ」! | 福富書房

ワイキキのアウトリガーホテルでも朝にホニをするイベントがありますね。

 

その他いろいろ隠されていそうなメッセージ

ヘイヘイ

日本でもニワトリ頭と言うくらい、にわとりは無能の象徴です。

でも結局ヘイヘイは最後に重要な役割を果たします。

人を見た目でバカって決めつけちゃいけないよとかそういうメッセージでしょうか。

※4/1追記

英語版を見て気が付きました。

モアナがサンゴを超え、海に漕ぎ出した船に乗っていたヘイヘイにかけた言葉、

そしてマウイがタマトアの住処に入る前にモアナにかけた言葉、

どちらも同じ「Stay! (そこにいろ)」だったのですね。

日本語訳だとセリフの口調が変わるので気が付きませんでした。

あの船のシーンでモアナと映画の観客がヘイヘイに思った

「足手まといで旅の邪魔になってしまう」という感情を

マウイも当初のモアナに感じていた、という象徴の様でした。

 

エイ

ハワイでカメは神様と扱われているように

エイも何かの象徴なのかと調べたのですが出てきません…

ハワイアンタロットカードではエイが「偉大さ、空間支配」などの

シンボルと言われているそうですが、ハワイに伝わっている考え方なのかは不明です。

占い方面には疎いのでもう少し情報を集めたいところです。

 

チャント・フラの振り

フラの一つ一つの振付や、神聖な場所に入る時に唱えるチャントの

一つ一つにも意味があるそうです。

(アウラニディズニーでやったメネフネトレイルで得た知識)

なので、タラおばあちゃんとモアナの振付が少し違っていたところや

マウイが唱えていたチャントを知るともろもろ深い考察が出来そうです。

  

 

いやーーー素晴らしい映画でした!公開中に何度も見に行くはず…!

海の映像もきれいなのでメッセージ性を考えずに見に行ってもいいですし、

隠されたメッセージから現代社会について色々思いを巡らせるのも面白いです。

私は途中から涙が出てくるほど感動しました。。

ミュージカル映画としての構成も胸が高まる作品です…あの歌の挿入はずるいぜ…

またディズニーで大好きな作品が出来てしまいました。

 

※ 3/12追記

今日またモアナを見に行ってきました。

大筋として「ありのままの自分を肯定し、自分の意思を信じて進もう」という

テーマが題材かと思われます。

これに関しては先述の通り、マウイの自己肯定感の取り戻しもそうなのですが

大切に育てられてきたモアナも持っていないものだったのですね。

 

モアナは作中で何度も「私はモトゥヌイのモアナ!」と自己紹介します。

しかしこれもマウイの釣り針と同じく、

モトゥヌイという自分の所属(の村)ありきでの自分の名前なのです。

合コンで「東京大学OBの○○です!」や

「俺、医者なんだけど」から自己紹介を始めるのと同じです。

そして最後にはリプライズの曲を歌いながら「♪私はモア~ナ~」と歌うシーン。

文句なしに自分の存在だけで勝負しています。

今まで受け身に村の曹長を任され、海に選ばれだったモアナが

自分から選びにいきました。

 

タラおばあちゃんとのやり取りを振り返ってみると、

おばあちゃんは絶対に押し付けることをしなかった。

必ず「お前はどうしたいんだい?」とモアナの意思を尊重します。

死に際に「行け」とは命令しますが、この時点でモアナは行く気満々、

行けないと二の足を踏んでいたのはおばあちゃんの体調面の心配なので

意思の尊重としては問題ありません。

「自分の意思で進むこと」の大切さをおばあちゃんは知っていたのです。

 

そして作品全体から聖書との相似性を強く感じました。

 ◆ 石を積み上げるシーン…バベルの塔

 ◆ 星を頼りに人を探し出す…キリスト誕生を祝いに行く博士たち

 ◆ マウイと出会った島で洞窟に閉じ込められて出てくるモアナ…キリストの復活

 ◆ テフィティの心を取り戻すシーン…モーゼの十戒

 

聖書でのバベルの塔の逸話は

人間が自分たちの力を過信し、天まで届くほどの塔を作った話。

彼らは同じ言葉を話し(同じ民族)、「人々が各地に散らばらないように」塔を建設していた。

 

モーゼの海が割れる話は元々ヘブライ民族の奴隷解放を目的に

追手から逃げていたモーゼが海を割る話。

 

聖書をかじった人であれば頭をかすめるこのシーンの数々。

狙って作ったのかな?と思われます。

追記:

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そうそう、テフィティの正体なのですが冒頭のタラおばあちゃんの昔話で

「この世界を産んだのは命の女神テフィティ」という説明があったので

あながち女性のオマージュというのも方向性は間違っていないのかもしれない。

モアナが心を返そうとしたシーンで引きの絵になる時、

島全体に女性が寝転んでいるようなシルエットが浮かぶのも気になります。

※4/1追記

英語版を見て少し思ったのは「戦争の敵対国」のオマージュとも取れました。

相手を知らないことの恐れが争いに繋がる、

テロリストにも実は理由があるとか、そんなことを少し思わされたり。

 

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アナと雪の女王のエルサは鬱病の設定であったと製作者が語っていましたが

マウイの場合はこの病名を題材にしているであろう、と考えられる思い当りがありました。

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作品全体のメッセージのバランスの良さ。

伝統くそくらえ!にはならず、先人の教えを大事にしていこうというメッセージ性も

含めているのは良かった。

最終的に石を返しに行ったのはモアナですが、マウイが役立たずということではなく

マウイなしでは海を渡れなかったモアナ。

重要でないキャラがいない、というのもこのディズニー作品の良さです。

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冒頭の父が歌う歌" Where You Are"は

モアナへの期待の歌なのですが

"Make way (道をあけろ)"、”happiness is here(幸せはここに)”など

後々、モアナ自身が実現していくことの歌だったりして

期待に応えたいと願っていたモアナが自然と出来ていたことにほっこりします

 

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これは考えすぎ説。

モアナが歌う主要テーマソング「How far I'll go」で

See the line where the sky meets the sea? という歌詞があります。

日本語版では空と海が出会うところはどれほど遠いの、という歌詞です。

マウイは意外と海での身のこなしが上手くないな、と思うのですが

(船を操縦するのは達人レベルですが、おぼれた時の対応や海の底でもがく場面)

鳥になって飛んでいる場面では活き活きしているのです。

対してモアナは今まで海に出ることを許されていなかったのに

おぼれても海での身のこなしが上手。

なのでこの歌詞は空=マウイ、海=モアナで変換出来るかと思いました。

変換したところで歌の輪郭も何も変わらないのが悲しいところです…

 

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船は「自分の進む道」のオマージュだ!と何かで感じたのですが

夜ごはんを食べている間に忘れました…頭がヘイヘイです。

 

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インナーワーキングもそうだったのですが、

マウイの島に着くシーンに船から水の温度を確かめるシーン

排泄ネタが多かったですね(それは深読みしなくていいと判断)